134 5月14日 民23詩64-65イザ13Ⅰペテ1

民数記23章……バラムはバラクの希望に反し、何度もイスラエルを祝福しました。それが神さまのみこころにかなっていたゆえですが、バラムがバラクに振り回されるようにして何度となく祭壇を築き、祈ったことは注目に値します。これほど主のみこころを知っていたバラムは、なぜバラクに言われるがままに、主がイスラエルを呪う可能性を考えて祭壇を築いたりしたのでしょうか。バラムはたしかに、イスラエルを祝福する器ではありましたが、その当のバラムがだれに対して従順だったかを考えると、事は単純ではありません。私たちも主のみこころを成就するために用いられるものですが、それが主へのよろこびの従順から出たことであるのか、よくその動機を点検する必要があります。

詩篇64篇~65篇……不法を行う者は全き人、すなわち、全きお方である神さまによって全き存在とされている私たちクリスチャンに対して、充分な熟慮の上に攻撃を仕掛けてくるものです。それは大変なことです。しかし、私たちは彼らの脅かしを過度に恐れることはありません。なぜなら神さまが、彼らが予想もしなかったときに彼らに対して攻撃を仕掛けられ、そのはかりごとを打ち砕かれるからです。恐れるべきは神さまです。そして神さまは私たちの味方であり、だれも私たちに敵対することはできません。

イザヤ書13章……主は終わりの日を必ずこの地上にもたらされます。それは大いなる怒りとさばきの日であり、どれほど恐ろしいものでしょうか。わが世の春を謳歌したバビロンを主が完膚なきまでに滅ぼされたように、今このときも、主に反逆してわが世の春を謳歌する大バビロン、反キリストの一大勢力も、必ず滅ぼされます。苦しむ者たちはこの約束に慰めをいただきます。

ペテロの手紙第一1章……私たちがイエスさまを信じることができているのは、たましいの救いを得ているからです。この救いを証しした旧約の預言者たちは、まさしく私たちのためにみこころを調べ、記録しました。ゆえに、私たちが救いの確信の中にとどまるためには、新約はもとより、旧約聖書をしっかり読んで学ぶ必要があります。旧新約両方に通じる者となるとき、私たちにおける救いの確信を、主はいよいよ確かなものとしてくださいます。

<祈りの課題>私たちを狙って信仰から落伍させようとする反キリストのあらゆる攻撃から、主が私たちのことを守ってくださるように。

コメント

このブログの人気の投稿

210 7月29日 士12使16エレ25マコ11

365 12月31日 Ⅱ歴36黙22マラ4ヨハ21

361 12月27日 Ⅱ歴32黙18ゼカ14ヨハ17