133 5月13日 民22詩62-63イザ11-12ヤコ5
民数記22章……一見するとバラムは、創造主なる神さまと交わりを持ち、そのみことばを伝える役割を果たしているようですが、実際は、この世の富に目がくらみ、また、自分の欲望を成し遂げようと、主のみこころに不従順であろうとする者です。彼の実体は、占いのような主の禁じられる働きをして、主に敵対する者にすぎません。しかし主はそのような者さえも用いられ、主がイスラエルの民を祝福しておられれることを満天下に明らかにされました。
詩篇62篇~63篇……私たちは、自分のいのちは何にも増して大切だと考えるでしょう。しかし詩人は、主の恵みはいのちにもまさる(それゆえ賛美する)と告白しています。私たちのいのちは、主の恵みがあるゆえに存在するものです。私たちにとっては自分のいのちもたしかに大事ですが、そのいのちも主の恵みによって存在していることをつねに信じ、主の御名をほめたたえてまいりたいものです。
イザヤ書11章~12章……終わりの日、イエスさまの統べ治める天国が実現する日は、すべてのものが和解する平和の日です。私たちは地上においては争いを体験し、傷つきます。そのような私たちにとって、贖い主なる主、再臨の主は、まことの慰めをくださいます。私たちのすることは、主にのみ希望を置くことです。
ヤコブの手紙5章……人は苦しみにあるときも、喜びにあるときも、主に近づく道が開かれます。苦しみの時に神さまを忘れたり、つぶやいたりしてはいけません。そのときこそ神さまが近づいてくださり、みわざを成して栄光を顕してくださるチャンスとなります。祈りましょう。また、喜びの時に人は神さまを忘れてしまいがちです。このときこそ神さまの御前にて賛美するなら、神さまはどれほど、私たちと喜びを分かち合ってくださることでしょうか。いずれのときも、神さまの御前に出てまいりましょう。
<祈りの課題>私たちがクリスチャンらしく、あらゆるオカルト(占い、おまじない、風水、ヨガ……)から距離を置くものとなりますように。
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