125 5月5日 民12-13詩49イザ2ヘブ10

民数記12章~13章……信仰の目をもって見るかどうかで、同じものの見え方は違ってきます。ヨシュアとカレブは全能なる主のみこころゆえに、敵がどうであれ必ず占領できるという信仰を働かせましたが、残りの偵察隊はむしろ不信仰になり、恐れました。私たちが生きようとする未来もまた未知のものに満ちていますが、私たちはそれを乗り越える信仰を働かせる必要があります。それは、私たちを通して、この地上に主の統べ治める領域を拡大するためです。

詩篇49篇……人はどんな財産を差し出しても、どんな努力をしても、自分のたましいを死から贖い出すことはできません。そう考えると人生というものは、きわめて絶望的な終わり方を迎えます。しかし神さまだけは、そのような人間を贖い出してくださいます。イエスさまの十字架は、絶望的に滅びるしかなかった人間を詩から贖い出す唯一の道で、私たち人間はイエスさまの十字架を信じ受け入れることで贖い出していただけます。

イザヤ書2章……人間が高ぶるということは、神の前に身を低くすることをやめることです。その結果人は、偶像を礼拝するようになり、財宝を蓄えて弱い立場にある者たちを踏みにじるようになり、戦いを起こして他国や他民族を屈従させようとします。しかし終わりの日に、主はそのような高ぶる者どもをおさばきになります。私たちも日々の歩みが高ぶりの歩みになっていないか、しっかり省みる必要があります。

ヘブル人への手紙10章……私たちを神に受け入れられる完全なものにするものは、よい行いでもいかにも荘厳な宗教行為でも、多額の献金でもありません。私たちの側には一切存在しません。イエスさまがしてくださったこと、十字架による贖いだけが、私たちを完全な存在、神に受け入れられる存在にしてくださいました。私たちのすることは、ただこの十字架を信じることだけです。

<祈りの課題>十字架に対する信仰以外のプラスアルファで救いを得ようとする無駄なあり方、むしろ罪深いあり方から、日本と世界のすべてのクリスチャンが救われ、ただイエスさまの十字架だけで満足するように。

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