123 5月3日 民10詩46-47雅8ヘブ8
民数記10章……ホバブは本来、イスラエルの民ではありませんでした。しかしモーセは彼に、イスラエルの共同体と運命をともにする人としてついてきてほしいと言いました。このように主の共同体である教会にとって必要な人が、自分の判断で群れから離れようとする、その判断は尊重すべきではありません。その人にとっての幸せが主の民の一員として共同体と運命をともにすることであると知る以上、私たちはどんなことがあっても、その人を引き留める必要がありますし、また主がその人を引き留めてくださるように祈る必要があります。
詩篇46篇~47篇……どんな時代にも人間の住む世界には、天変地異がつきものでした。しかしそのような危険がつねにそばにあると知りながらも、幸いな聖徒は創造主なる神さまが避け所であると知り、信仰を固く保ちました。私たちの住む世界も依然として、どこに危険が潜んでいるかわからないものです。しかし、私たちは主がともにおられるゆえ、いたずらに恐れることはありません。
雅歌8章……4節のフレーズは、雅歌の中に複数回登場することばです。私たちはだれかにイエスさまを信じてほしいとき、このような「愛がそうしたいと思う」主の時を待ち望みつつ行動しているでしょうか。人間的な方法で何とかしようとすることは「揺り起こしたり、かき立てたり」する、ふさわしくない方法です。
ヘブル人への手紙8章……神さまが結んでくださる新しい契約は、古びることがありません。その内容は12節にあるとおり、主がその民の不義にあわれみをかけ、もはや民の罪を思い出さない、というものです。その契約は、イエスさまの十字架を信じる信仰によって結ばれます。
<祈りの課題>私たちが大地震のような天変地異に普段から備えながらも、いたずらに恐れておろおろすることのないように。
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