120 4月30日 民7詩42-43雅5ヘブ5
民数記7章……祭壇が奉献されるとき、12部族の族長はそれぞれ、まったく同じものを日ごとに割り振られてささげました。ある部族がほかの部族よりも多くささげるということはなかったのでした。ささげものにおいて、部族間に優劣はありません。こんにちにおいては、主の御前に出ていく者たちは、だれもがほかの人に優先することなく、主の御前においては等しく礼拝をささげているということの象徴と言えないでしょうか。私たちもほかの兄弟姉妹と礼拝の態度や礼拝献金、奉仕その他を比較して、優越感に浸ったり、劣等感を抱いたりしないようにしたいものです。
詩篇42篇~43篇……昼も夜も涙が自分の食べ物であった、すなわち、自分の悲しみの中に閉じこもるしかない、そんな人に詩人は共感しています。しかし、どんな人であれ、落ち込んだままでいてはなりません。私たちには救い主なる神さまがいてくださいます。神さまを待ち望むならば、自分は実は救われていたことに気づかせていただき、暗闇から光に移され、神を慕いあえぐ渇きはいやされます。私たちのすることは、何かの慰めの方法でいやそうとすることではなく、悲しくてたまらなくても、神さまをじっと静かに待ち望むことです。
雅歌5章……愛する人を慕い求める思いは、病むような思いにさえなってこそ本物です。それは私たちの多くが、恋愛というものを経験したときに身をもって知っている感情でしょう。私たちはそのような燃える思いを、花婿なるイエスさまに対して持っていますでしょうか。イエスさまは私たちに対し、そのような燃える思いをもって愛を注いでくださっています。
ヘブル人への手紙5章……イエス・キリストは大祭司、神と人との仲立ちとして御父から立てられるにあたり、人としてこの世を生きられ、御父への完全な従順の生き方を実践されて、それゆえに十字架に至るまでの苦しみの歩みをされました。このように、人としてあらゆる苦しみを体験されたイエスさまは、私たちのことを理解してくださる、私たちの味方です。
<祈りの課題>今、悲しみの中にある兄弟姉妹のことを、主が慰めてくださいますように。
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