116 4月26日 民3詩37雅1ヘブ1
民数記3章……レビ人は、イスラエルのすべての長子の代わりを果たす存在です。主の民の共同体が御前にふさわしくあるためには、その共同体は一定の献身者の存在を必要とします。しかし、主の御前に近づく祭司に資格が必要だったように、献身者にもそれ相応の資格が必要です。現代の教会においては、神学校卒業と教会組織からの按手が大きな目安となります。
詩篇37篇……主とその民に敵対する悪しき者はこの地上でほしいままに振る舞い、私たちは彼らの横暴さ加減を見て、彼らの天下はこれからも続くと思って暗澹たる気持ちになるかもしれません。しかし、主は彼らのことを必ずおさばきになります。ほんとうに勝利されるのは主なる神さまであって、悪しき者たちではありません。
雅歌1章……ほんとうの愛は片思いや支配・被支配の関係ではなく、お互いが愛のことばを呼び交わすような交わりであってしかるべきです。私たちはなかなか、雅歌で描かれているような男女の関係を、たとえ夫婦の間でも(夫婦の間だからなおさら?)照れくさくて持ちにくいものかもしれませんが、イエスさまと私たちの間には、このような愛の交わりが成立してしかるべきです。
ヘブル人への手紙1章……イエスさまは御使い(天使)よりもはるかにまさったお方であることが述べられています。よく知らない人は、キリスト教会が天使礼拝をするかのように思っているようですが、御使いは私たち人間に仕える霊であり、礼拝の対象でもなければ、崇敬を受けるべき対象でもありません。しかし、イエスさまは創造主であり、また救い主であり、私たちの礼拝を受けるべきお方です。
<祈りの課題>世界中のクリスチャン夫婦が健全な愛の関係を保ちますように。
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