113 4月23日 レビ27詩34伝10テト2
レビ記27章……このみことばは主の聖なるものに関して、きわめて客観的な基準を提示しています。このことには、人間的な主観によって主にささげられるものの善し悪しが決まることを避けるという、大きな目的が込められています。私たちも、主にささげる生活には人間的な主観を極力込めないようにし、主がお定めになった基準にしたがってささげていくように、自他ともに努める必要があります。十分の一の献金、主日の聖別は、その最たるものでしょう。
詩篇34篇……ダビデはこの詩を詠んだとき、とっさの機転で狂人になったふりをして敵の攻撃をかわしましたが、それは屈辱ともいうべき行動でした。しかし主は、ダビデが落ち込んだままにしてはおかれませんでした。主はダビデを引き上げ、敵の手から引きつづき守ってくださいました。私たちも敵のなぶりものでいつづけることはありません。主は救い出してくださいます。
伝道者の書10章……食事には2つの目的があります。ひとつは楽しむため、もうひとつは力をつけるため。しかし、臨戦態勢にある人生のただ中で、楽しむためだけに食事をしているようならば、その食事は身を滅ぼします。私たちにとって食事は、主の栄光を現す日々の戦いにおいて力をつけるためのものです。
テトスへの手紙2章……神さまが私たちを恵みもて救ってくださったということは、私たちが以前の悪い生活を改めることのないまま、そのまま生きつづけていいということではありません。「不敬虔とこの世の欲を捨て」「慎み深く、正しく、敬虔に生活」するように、主の恵みは私たちのことを招いています。
<祈りの課題>私たちクリスチャンが救いの恵みに感謝して、神と人の前に正しい生き方を目指していけるように。
コメント
コメントを投稿