109 レビ23詩30伝6Ⅱテモ2

レビ記23章……主は、畑から収穫する際には、畑の隅から刈り入れてはならず、落穂も拾い集めてはならない、それらは貧しい人と寄留者のためのものであると規定されました。このことからわかることは、主は立場の弱い人を気にかけておられるということ、また、そのような人のことを強い立場の人、余裕のある人は気をかけるべきであるというみこころを示しておられることです。私たちは、自分さえよければいいのではありません。貧しい人、弱い立場にある在留外国人のような人のことを考え、少しでも助けになる行動を起こすことは、主のみこころにかなったことです。

詩篇30篇……私たちは御怒りからかくまっていただいている存在です。時に私たちは、罪を犯して主の御怒りが感じられてならないことがありますが、主はその御怒りを示される以上に、私たちをなおも生かしてくださり、新しい朝、新しい日を与えてくださることによって、私たちに愛を示してくださいます。

伝道者の書6章……5章で筆者は、飲食は主が与えてくださった楽しみであると述べましたが、ここでは一転して、飲食とはむなしいものであると語ります。なぜむなしいかというと、飲食は決して満たされないからです。このことは何を語るかというと、地上の営みはむなしいものであるということです。私たちの生きる目的は地上にあってはなりません。天の御国に人生の目標がなければ、私たちの人生はどこまでもむなしいものになります。

テモテへの手紙第二2章……神学上の議論というものは緻密(と自分で思っている)な理論を構築し、自分の立場の違う人を打ち負かすならば、爽快かもしれませんし、自分は神学的に正しい特別な人だなどと悦に入ることができるかもしれません。しかしそのような態度は教会を病ませるものでしかありません。私たちのすることは論争ではなく、教会において徳になることをすることです。

<祈りの課題>だれであれ神学論争に打ち込む人が、教会を異端・カルトから守る場合を除き、教会を立て上げる働きに献身していきますように。

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