104 4月14日 レビ18詩22伝1Ⅰテモ3
レビ記18章……主はイスラエルの民に、これまでいた場所(エジプト)と、これから行く場所(カナン)の風習をまねてはならないと警告されましたが、その警告のあとに続くみことばをお読みすると、その風習の多くが性的な汚れをともなうものであることがわかります。こういうことはいち文化として認めるべきものではありません。私たちはそのようなところから救われてきよさにあずかっている以上、私たちのすることは聖潔に進むことであって、このようなけがれはなんとしても避ける必要があります。
詩篇22篇……クリスチャンはときに、自分が神の民であり、神の民に主が応えてくださるという「事実」を知っていても、なお主の御手が遠いと感じられて、悲しくも絶望的になることがあります。しかし、この詩篇は多くがイエスさまの十字架によって成就したように、そのように絶望に陥るとき私たちは、イエスさまの十字架の苦しみに少しでもあずかる栄誉に浴しています。しかし、イエスさまは復活し、勝利してくださいました。私たちもイエスさまの十字架だけではなく、復活にあずかっているゆえに、このような逆境に勝利させていただいています。
伝道者の書1章……私たちは21世紀を生きており、日々技術革新を体験していると思っています。しかしみことばは、「日の下には新しいものは一つもない」と喝破します。すべての源であられる神さまに立ち帰ることがないならば、すべては「風を追うようなもの」にしかなりません。
テモテへの手紙第一3章……自分の家庭を治める人が神の教会をお世話できる、と語られています。独身の教職者(候補)が結婚を祈り求めることが奨励されるゆえんです。こんにちにおいては結婚によって新しい家庭を築くことは簡単なことではありませんが、困難なことは教会形成も同じことで、私たちは「家庭は教会、教会は家庭」という原則をしっかりわがものとして、教職者も信徒も、家庭と教会の形成に励んでまいりたいものです。
<祈りの課題>独身の働き人が良い結婚に導かれますすように。教職者も信徒も、自分の群れの中の独身の信徒が結婚できるように関心を持ち、祈っていくことができますように。
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