099 4月9日 レビ13詩15-16箴27Ⅱテサ1
レビ記13章……ツァラアトに関する規定です。この箇所を読むと、共同体にツァラアトが拡大しないために主がどれほど細やかに知恵を授けてくださったかがわかります。しかし、このツァラアトにとりつかれて「けがれる」ということは、共同体を伝染から守ることが第一の目的ゆえにそう制定したわけであり、決して罹患した人を(とくに宗教的に)差別するためではありません。それでも人は後代になって、この罹患を宗教的汚れにすり替えました。イエスさまはそこから、ツァラアトをもろともいやしてくださることによって救い出してくださいました。
詩篇15篇~16篇……割り当ての地が主から与えられたことに喜ぶ告白(16:6)は、こんにちも有効です。旧約のイスラエルの民のレビ族は、主ご自身がその相続地でした。私たちはこの世の不動産を持たなくても、主ご自身を受け継ぐ信仰を与えられています。これこそ喜ぶべきこと、感謝すべきことです。
箴言27章……22節。人の愚かさというものは、そう簡単に人から抜けることはありません。愚かな人がいるとして、その愚かさゆえに周囲の人がやきもきして、なんとかその愚かさから離れるように手を貸しても、本人がおのれの愚かさを自覚してそこから離れるべく主に知恵を求めないかぎり、どうしようもありません。私たちは、まず自分自身が、それから、共同体全体が賢くなるように、自分と共同体に知恵を求めて祈る必要があります。
テサロニケ人への手紙第二1章……教会がどのように成長することが感謝すべきことでしょうか。信徒たちの信仰が成長し、また、信徒たち互いの間の愛が増し加わることです。教会とは、個人が問題解決のために神さまの前に進み出る場所以上に、信仰を高め合い、愛し合う共同体、キリストのからだであることを、信徒たちは自覚する必要があります。
<祈りの課題>私たちクリスチャンが、教会のほかの兄弟姉妹に関心を持って愛する、その愛が増し加わりますように。
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