096 4月6日 レビ9詩10箴24Ⅰテサ3
レビ記9章……アロンが自分とその家族、イスラエルのために罪のきよめのささげものをささげるとき、主の栄光が現れました。私たちもまた、イエスさまの十字架という罪のきよめのささげものをもって主の御前に近づくとき、主の栄光が現れます。私たちは自分のため、家族のため、自分の教会のため、イエスさまの御名によってとりなしの祈りをささげけまいりたいものです。
詩篇10篇……悲惨な境遇にある人を虐げる者は、神をも恐れぬ人です。そもそもその者は、神を認めません。しかし確かなことは、神さまはおられ、悲惨な境遇に置かれた人を神さまは救ってくださるということ、そのように苦しめる者に対して神さまが確実にさばきを行われるということです。
箴言24章……悪しき者に苦しみを与えられるのは神さまです。その苦しみを見ることで溜飲を下げるようでは、私たちはまだまだ、神さまのご栄光よりも自分の肉の思いが先になっていることになります。そのような人に神さまがそれ以上御業を行なっても、その人は感謝することがなく、結局、その人に向けられた神さまのみこころは無駄にされたことになります。私たちはそのようであってはなりません。
テサロニケ人への手紙第一3章……主の働き人は涙とともに種を蒔くがごとき厳しい働きを強いられます。しかし神さまは、そんな働き人に、教会の成熟という働きの実を約束してくださいます。それがあるゆえに、働き人は疲れ切ることなく働きを続けていくことができます。
<祈りの課題>オーバーワークになっている主の働き人が、働きの実を見ることでいやされ、なお用いられますように。
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