095 4月5日 レビ8詩9箴23Ⅰテサ2
レビ記8章……私たちクリスチャンは、主の前に出ていって民のためにとりなしをする(王である)祭司の役割を果たしますが、その役割を果たす大前提として、アロンたちが自分自身のために宥めを行う必要があったように、自分自身が罪からきよめられている必要があります。私たちは人のことを祈る以前に、イエスさまを通した主との交わりを大切にしたいものです。
詩篇9章……この世に存在するあらゆる栄華、権力は、永らえることはありません。主は、この世の春を謳歌するようなあらゆる存在を戒められ、ただひとり永遠に存在される主権者として、そのご栄光を世々かぎりなく豊かに現してくださいます。私たちはこのお方を礼拝し、お従いするのです。
箴言23章……ある人は、福音派の信徒たちがお酒を飲まないことをさばいたり、馬鹿にしたりするようですが、信徒たちはちゃんと聖書的な根拠をもってその選択をしています。29節以下は、その選択の最たる根拠として挙げられるでしょう。人は、自分が思っているほど、酒のような常習的な刺激に強くできているわけではありません。そういうものを避けるべき最大の理由は、それによって神さまとの交わりが断たれるということです。
テサロニケ人への手紙第一2章……パウロはテサロニケ教会の信徒たちに、あなたたちの同胞に苦しめられているのは、ユダヤ人の教会が同胞に迫害されているのと同じだ、と語って慰めます。私たち日本のクリスチャンは日本においてマイノリティで、それゆえに同胞である日本人から苦しめられることがありますが、それは初代教会にならう栄光の歩みであることを覚えてまいりましょう。
<祈りの課題>飲酒のようなアディクションをやめられないで苦しむ信仰の兄姉がいやされますように。
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