094 4月4日 レビ7詩7-8箴22Ⅰテサ1

レビ記7章……代償のささげ物についての規定は、罪のきよめのささげ物についての規定とひとつでした。それは、この両者が深い関係を持っているからです。罪がきよめられるには、いのちが犠牲になるという代償が必要でした。このささげ物は、のちの日のイエスさまの十字架の予表でした。

詩篇7篇・8篇……ダビデは、敵の手から自分が救い出されることを願う一方で、自分に不正があれば敵の手に陥らせていただきたい、私をさばいてください、と祈っています。ダビデは、自己中心の思いで敵からの救いを祈っているわけではありません。主の正義が成るようにそう祈るのであり、その正義がなされる対象に、自分も含めるのはフェアな態度です。

箴言22章……このみことばは怠け者のことを、獅子が外にいて殺されるから出ていかない人に例えています。聖書のことばは、吠えたける獅子がうごめくがごとく、サタンがうごめく世界において私たちに勝利を与える力となりますが、神さまよりも人やサタンを恐れ、行動しようとしないならば、それは主との交わりを怠けている、すなわち、みことばに深く聴いて守り行うことを怠けていることになります。

テサロニケ人への手紙第一1章……模範的な信仰の態度は、偶像から離れ、生けるまことの神に仕えることへと実を結びます。信仰とは観念的なものではなく、実践的なものです。そしてその実践的な信仰の態度は、御子の再臨を待ち望む態度に現れます。また、御子の再臨を待ち望むゆえに、いつでも恥ずかしくなく主の御前に立てるように、愛という形で信仰を実践するのです。

<祈りの課題>私たちにとっての再臨待望の生活が、刹那的、現実逃避的なものになるのではなく、地に足のついた、具体的に隣人に愛を行う、実践的なものとなりますように。

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