092 4月2日 レビ5詩3-4箴20コロ3

レビ記5章……悪事を見聞きしたことを証言しなければならない、というのは、心の中の良心の声です。それは私たちにとっては、さばき主なる神さまの御声としての聖霊さまの御声です。この御声を無視して、穏便に済ませようとすることが、しばしば私たちの人生に起こってきます。しかし、人間的に穏便に済ませることは、人から愛されようとも、正義の主なる神さまのみこころを損なうことです。しかし神さまは、その罪も悔い改めに導いてくださり、赦してくださいます。

詩篇3篇~4篇……ダビデは、全イスラエルがアブサロムにつき、きわめて劣勢だったという現実の中にありました。しかしダビデには、万軍の主がともにおられるという揺るぎない信仰がありました。主がともにおられるということは、どんなに現実的に自分が不利な立場に置かれていようとも、何にも勝る平安と確信を人に与えてくれます。

箴言20章……主は正義のお方ですが、主につく私たちは、正義の味方を気取って勧善懲悪のような行動を取るべきではありません。イエスさまもそのような、ローマの圧政から救い出す「メシア」ではありませんでした。それゆえに十字架にかけることが正当化されましたが、イエスさまは、ご自身を十字架にかけた者たちに復讐されることはありませんでした。

コロサイ人への手紙3章……すべての言動は御父と御子の御前で行うことです。したがって、御父と御子の御前でふさわしくないことは行えないでしかるべきです。どんなことばも、行いもです。もし私たちが、御父と御子にはとても見せられない言動をまだどこかでしているならば、早くそこから救われる必要があります。

<祈りの課題>だれかに対して怒り、赦せない思いを抱えている人が、その思いから解放され、自由になりますように。

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