090 3月31日 レビ2-3ヨハ21箴18コロ1

レビ記2章~3章……主は、ささげものを求めておられます。もちろん、儀式として宗教的にささげることで満足してはなりません。私たちが生活を通して、知恵・時間・金銭・持ち物・人間関係といったものを神さまにささげるのです。そのような生活を通してのささげものをする生き方は、形式的な宗教行為の対極にあるものです。

ヨハネの福音書21章……イエスさまが行われたことを記録するなら世界もその記録を収められない、というのはほんとうのことです。それは、創造主としてのイエスさまのみわざが想像を絶するほど多岐にわたるということもさることながら、人がイエスさまに出会うならば、その人ひとりひとりにイエスさまが日々、それぞれの人生に合わせてみわざを行われるわけで、その人生はたったひとりのものさえも、とても世界が推し量れるものではありません。ましてや世々の聖徒すべての人生となるとどうでしょうか。教会の歴史、世界の歴史とは、世界史の強化し歩や神学校の世界史の授業で学んでも、それはほんの一部でしかありません。あなたはちっぽけな人ではありません。神さまに、イエスさまに、大いに覚えていただいています。

箴言18章……反知性主義というものがあります。そのような者は知恵の持つ価値を否定しておきながら、自分の心をあたかも万人が信じるべき知性のように喧伝して、インターネットのような発言の保障されている環境でさらけだすことを好みます。しかし、そのような愚者の知恵など、知恵と呼ぶべきものではありません。私たちは、自分には知恵がないことを認め、へりくだる必要があります。

コロサイ人への手紙1章……主に献身するということは、苦しみをもってキリストのからだの欠けた部分を満たすことです。したがって、主への献身の生き方は自己実現の対極にあるもので、自分を否定しなければならない、この世の基準からしたら苦しみに満ちた生き方です。その生き方に喜びを見いだすには、どれほどこの世の喜びを求めず、主がともにおられることそのものに喜びを見出さなければならないことでしょうか。しかし、主にあって喜ぶことを知る人にとっては、主にある苦しみも喜びに変わります。

<祈りの課題>若い兄弟姉妹が聖書を勉強することを喜びとし、みことばを深く理解するものとなりますように。

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