076 3月17日 出28ヨハ7箴4ガラ3
出エジプト記28章……主は、ご自分にお仕えする祭司のために聖なる装束を意匠を凝らしてつくらせるようにお命じになりました。私たちは、聖徒が主の御前にふさわしい礼拝をささげる祭司の役割を果たせるように、まるで聖徒の礼服を丹念込めて作るように、聖徒をお手伝いする役割が与えられています。礼拝堂の掃除、主の晩さん(聖餐式)やバプテスマ(洗礼式)の準備、みなこの「聖徒がふさわしい礼拝をささげるお手伝い」をすることによって、ともに主の御前に出る麗しい働きとなります。
ヨハネの福音書7章……イエスさまは、この年の過越の祭りには上っていかないとおっしゃってはいましたが、内密に行かれ、人々の前に現れて、渇く者はわたしのもとに来て飲みなさい、とおっしゃいました。イエスさまは人の時ではなく、神の時にしたがって行動されました。私たちもイエスさまに対して人間的な期待をし、それが応えられなかったらイエスさまを信じるのをやめるのではなく、イエスさまが行動される基準である神の時を見分けるために、祈りとみことばに専念する者となりたいものです。
箴言4章……私たちが霊的な子どもたち(自分の子どもであったり、教会の次世代であったり)に対してすることは、みことばの知恵を教えることです。罪の性質が取り扱われていないと、悪の道を志すようになってしまわないともかぎらないゆえ、みことばという至上の知恵を教えるのです。しかし、この知恵が何よりも素晴らしいことを子どもたちに示すには、まず大人である私たち自身が、知恵を喜び、知恵に従う生き方をすることです。
ガラテヤ人への手紙3章……誰も律法を完全に守り行うことはできず、したがってのろいのもとにあります。すべての人は律法という神の基準に達していない存在ゆえ、神ののろいと怒りを受けるべき存在です。しかしイエスさまは、木にかけられてのろわれた者となり、私たちが受けるべきのろいを身代わりに受けてくださいました。私たちは十字架のゆえに、神の怒りとのろいから救われました。
<祈りの課題>私たちが次世代育成(若者、子ども)に深い関心を寄せ、活動をしていくように、活動の段階に至っていないならば、まず自分がその働きを担えるように祈ることから始められるように。
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