075 3月16日 出27ヨハ6箴3ガラ2
出エジプト記27章……主の御前ではともしびが絶えずともされます。ともしびは主の民だからと神さまがともしてくださるのではなく、民の側で努力して絶やさずにともしておくものです。私たちにとって主の御前に礼拝をおささげするディボーションの生活をすることは、主の御前に絶えずともしびをともしておくようなものです。私たちはこのともしびが明るく燃えるように、神の前に燃え、人の前に世の光となります。
ヨハネの福音書6章……イエスさまについていこうと思う人々も、十字架という奥義を前にしては、二の足を踏み、イエスさまから去っていくものです。十字架のことばは人には愚かに思えますが、救いに召された人々にとって神の力、唯一の救いの道であると信じるべきもので、私たちの誇りとすべきは、人が何と言おうと十字架です。
箴言3章……人に悪をたくらむ、暴虐を行うことに、私たちはどこかで憧れたりしていないでしょうか。映画、テレビ、ゲーム……世のものはそのようなものにあこがれる人間の罪の性質を刺激します。しかし私たちは神の子どもたちらしく、そのようなものから身を避けていかなければなりません。
ガラテヤ人への手紙2章……律法主義で歩むことは、ある意味楽な歩みです。形式的な「宗教」をしてさえいればそれでいいからです。しかしそれはほんとうのところ、神さまにあってはもっとも不自由な生き方です。イエスさまの十字架によって自由にされた私たちは、人を意識したこのような宗教生活に堕しては、決してなりません。
<祈りの課題>世の中に健全な文化が根づいていくように、まず私たちから、この世の文化に一線を引くことができるように。
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