072 3月13日 出24ヨハ3ヨブ42Ⅱコリ12

出エジプト記24章……民の代表者たちが畏れ多くも神さまご自身を仰ぎ見た場面です。しかし、神さまは彼らを打たれませんでした。それは、ご自身のみもとに引き寄せられるのが神さまのみこころであったからです。私たちも本来ならば神さまの御前に出ることの許されない者ですが、神さまは恵みをもって、私たちをみもとに召してくださいます。私たちのすることは、そのように召してくださる神さまのみもとに行き、神さまを喜ぶことです。

ヨハネの福音書3章……バプテスマのヨハネが告白したように、主の働き人のすることは、イエスさまが盛んになり、自分自身が衰えるように働くことです。人は、主の働き人を名乗るような人であっても、なんと自分を売り込もうとしたり、イエスさまが隠れてしまうような働きをしたりすることでしょうか。ヨハネの心境に至るのは難しいですが、この心境は、主の働き人ならだれでも持つべき働きの基準です。

ヨブ記42章……神さまがヨブを回復されたとき、ヨブに最初にお与えになった働きは、神さまについて確かなことを語らなかった3人の友のためにとりなして祈ることでした。この祈りをするには、ヨブが彼らに苦しめられたという、その罪を主にあって赦すことから始まります。私たちにとって赦すということは簡単なことではありませんが、自分に対してさまざまな傷つけることばを語ったことを忘れないでいて、余計に心を痛めるよりも、よほど生産的であり、それ以上に神さまのみこころにかなうことではないでしょうか。

コリント人への手紙第二12章……パウロはコリント教会を育てるために、他教会からの献金をつぎ込んでミニストリーにあたりましたが、それはかえって、コリント教会が自分たちで犠牲を払って成長する道を阻むことになってしまいました。パウロはそれを自ら、私があなたがたに働いた不正であると告白し、赦しを乞うています。教会がほんとうに成長し、成熟するためには、受けてばかりでいてはなりません。自分たちも犠牲を払い、他のためにささげる実践がどうしても必要になります。そのような成長をともに目指してまいりましょう。

<祈りの課題>人を赦すという問題で苦悩するすべてのクリスチャンが、怒りを手離すことで自由になれるように。

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