071 3月12日 出23ヨハ2ヨブ41Ⅱコリ11
出エジプト記23章……多岐にわたる律法のみことばの記述ですが、このように述べられているのは、神の民がこれらの律法を守り行うことによって、主にお従いする幸せな生活を送るためです。そのことは、さまざまな命令のみことばに交じって、他民族を追い払われるそのタイミングに至るまで、そのタイミングを定められる理由とともに述べられていることからも明白です。
ヨハネの福音書2章……イエスさまは主の宮から余計なものを追い出し、きよめられるお方です。私たちも主の宮です。私たちの中に、主のみこころに反する部分はあるはずです。エルサレム神殿で商売していた者たちは霊的感覚が麻痺していましたが、私たちはどうでしょうか? 問われる思いがあるならば、すぐに悔い改めるものとなりますように祈りましょう。
ヨブ記41章……ヨブの時代には、現代ではその正体を知るのが困難なレビヤタンなる動物(爬虫類? 恐竜ともいわれています)が存在し、その存在に人々は恐れを抱いていたようですが、この世界に猛獣、強くて獰猛な動物が存在することは、その創造主なる神さまが恐るべきお方であることを示しています。恐れるべきは動物のような目に見える存在ではなく、目に見えない神さまです。
コリント人への手紙第二11章……パウロは、自分の身に起こったことを率直に述べるにあたって、それを主によって話すのではない自慢話であると言っていますが、もちろんこれは自慢話のたぐいではありません。パウロは彼らに認められたところで何になるわけでもありません。そのように話すことで、コリント教会の信徒たちを謙遜にさせようとしているわけで、彼らを厳しく育てる愛情ゆえに語ったことです。
<祈りの課題>私たちの日々のディボーションの生活が、正しい悔い改め、主との交わりへと導かれますように。
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