068 3月9日 出20ルカ23ヨブ38Ⅱコリ8

出エジプト記20章……「神をも恐れぬ」ということばがありますが、このときイスラエルは、神を大いに恐れていました。この恐れは、人を罪から遠ざけ、したがって、さばきから遠ざけることになります。神への恐れがあることは素晴らしいことであり、今日もまた私たちは、神を恐れつつお従いしたいものです。

ルカの福音書23章……イエスさまは、兵士たち、ひいては、そのように扇動したユダヤ人たち、すべての罪人たちが、ご自身を十字架につけたゆえのさばきにあうことのないように、御父に祈られました。私たちもまた、イエスさまのこの十字架上の祈りによって、罪赦され、御父の怒りを免れています。

ヨブ記38章……ヨブと客たちとの問答の末、嵐が起こり、その嵐の中から主ご自身が語られました。主はヨブを見捨てておられなかったのでした。むしろ、ヨブのことを特別に愛しておられたゆえ、ヨブがまことの創造主なるご自身にほんとうの意味で目を開くため、創造のあらゆる御業を突きつけられました。人は偉大なる創造の御業を前にして、自分の無力さ、卑小さを思わされますが、それはむしろ、創造主に目が開かれる祝福の道です。

コリント人への手紙第二8章……キリストの愛にほんとうにあふれているならば、どんなに貧しくても、ほかの必要のためにささげる人になります。コリント教会はマケドニア教会に比べてはるかに豊かだったようですが、この「ささげる」ということに対しては、大いなるチャレンジを必要としていました。私たちの教会も、外部の必要を覚えてささげることが実践できているでしょうか? それができるには、私たちは何よりも、キリストの愛に満ちあふれている必要があります。

<祈りの課題>ささげたい、という思いが与えられたら、躊躇せずにささげる私たちとなれるように。

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