059 2月28日 出11-12:28ルカ14ヨブ29Ⅰコリ15
出エジプト記11章~12章28節……エジプトに下されたわざわいをイスラエルが免れるように主が教えられた道は、血を家々の門の鴨居に塗ることでした。血をご覧になる主はそれゆえに、長子を打つさばきを過ぎ越させてくださる。これは、イエスさまがご自身の民のために十字架にかかってくださり、さばきを免れさせてくださったということの予表でした。
ルカの福音書14章……イエスさまにお従いしたいと願う人は多くいます。しかし、そのための条件である、全財産を差し出しなさいというみこころに従順に従えるかどうか、そのことをきちんと問うて、お従いしているでしょうか。あたかも、塔を建てたり、わずかな兵士で大軍を迎え撃ったりするうえで、緻密な計画を立てるようにです。ただ、人間的な発想で計画を立てるならば、だれもイエスさまの御跡をお従いすることはできません。お従いすることはどこまでも、主の恵みの領域です。そのお従いする恵みがあるとき、人はイエスさまにお従いする力が与えられます。
ヨブ記29章……ヨブは、友たちが語ることとは異なり、自分がどれほど人々によくしてやったかということを語ります。これは行いを誇り、行いを根拠に自分に救いを担保しようという態度なのですが、ヨブがこれだけのいつくしみを人々に施したということは事実であり、それを否定することはできません。口だけの人ではなく、行いがその人生に伴っていました。そのことはだれも批評できないはずです。
コリント人への手紙第一15章……51節のみことばに注目しましょう。結果としてパウロもコリント教会の聖徒たちもみな「眠った(死んだ)」わけですが、それが「私たちはみな眠るわけではありません」と書いてあるのは、第一に、この書簡の受信者であるコリント教会が世の終わりを意識していつも励むべきであったから、第二に、私たちを含む、のちの世を生きるクリスチャンも、世の終わりを意識していつも励むべきであるからです。コリント書だけではありません。聖書はすべて、古い時代に書かれたものであるのと同時に、まだ見ぬ未来へと私たちを促すみことばです。
<祈りの課題>クリスチャンの葬祭業の働きのために。お骨のパウダー化の働きを展開する「石の東陽インマヌエル」のお働きのために。
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