057 2月26日 出9ルカ12ヨブ27Ⅰコリ13

出エジプト記9章……度重なる災害が主から下されたものということを認めたファラオの家臣の中には、警告のことばを信じて、しかるべき措置を取った者もいました。このことからわかるのは、主がエジプトを完膚なきまでにさばかれるにあたって、主のみこころに従順に従う者を選んでおられた、ということです。私たちもこの世の終わりに際し、世を挙げて堕落していく中、なお残されて主にお従いする者であるという自覚を持ちたいものです。

ルカの福音書12章……私たちに聖書のみことばが与えられているということは、そのみことばがイエスさまの再臨がもたらす世界の終末を語っている以上、その終末に備える責任が私たちにあるということです。私たちはこの終末に向けて日々の働きをなすのであり、そのことも考えないでこの世の快楽に浸ることをやめないならば、そのような者の終わりはどうなることでしょうか。互いに励まし合い、終末に備える私たちとなりましょう。

ヨブ記27章……ヨブは、自分が潔白であり、神を敬わないばかりに滅びる者でも、悲惨な末路を迎える悪しき者でもないことを主張します。そのような告白をするヨブにとって、神さまとは、自分の権利を取り去られた方、たましいを苦しめた方であり、そのお方にかけて自分が不正ではない、誠実であると誓いました。ここに来てヨブはいよいよ赤裸々になり、自身が潔白と信じている自分の人格が、まことにきよい神さまの御手によって取り扱われる備えができはじめていました。

コリント人への第一の手紙13章……あらゆる賜物にまして愛は優先します。なぜなら、神は愛であり、愛するということは神にならうことだからです。4節から、この「愛」ということばに、自分の名前を当てはめて読んでみましょう。最初は照れくさくてやりにくいかもしれません。自分が損な愛から遠いことがよくわかるからです。しかし、あきらめずに13章の最後までやりつづけてみてください。そして、言いようもない思いになったならば、もういちど、こんどは1節のはじめから13節まで、同じようにしてみてください。私たちがどんなに愛されているか、私たちが愛する者となるために神さまがどれほど期待し、成長する力を与えてくださろうとしているか、わかるようになるはずです。

<祈りの課題>金曜日は日曜日に備えて説教作成や祈りに集中する牧師先生が多くいらっしゃいます。先生方の備えが守られ、導かれますように。

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