053 2月22日 出5ルカ8ヨブ22Ⅰコリ9

出エジプト記5章……神の民はこの世で不条理な扱いを受けます。なぜならそれは、神の民だからです。神が鍛えてくださるゆえであり、サタンが攻撃するゆえです。しかし、神の民はそれで終わりません。神に拠り頼む信仰が育てられます。そのような民に、神は御腕を伸ばし、御業を行なってくださいます。

ルカの福音書8章……イエスさまはマリアや弟たちと対比して、わたしの母、わたしの兄弟とは、神のことばを聞いて行う人たちのことだとお語りになりました。私たちは御国において、イエスさまと家族にしていただくという栄誉を得る者ですが、その栄誉は、神のことばを聞くこと、そして、その聞いたみことばを行うことによって、イエスさまに与えていただけるものです。

ヨブ記22章……エリファズはいよいよ、ヨブのことを極限のさばきにふさわしい悪人だと決めつけて議論を進めます。そのような者も神と和解するならば幸いが来ると語ります。まことにそのとおりで、究極のさばきにふさわしい者もイエスさまの十字架によって神との和解をいただくならば、永遠のいのちの幸いをいただきます。しかし、そのような道理が見えたところで、実際に苦しむ者のことを理解していると言えるのでしょうか。

コリント人への手紙第一9章……パウロの語る、福音を伝える者の報いに注目しましょう。福音を無報酬で提供し、その結果得られる自分の権利を用いないことが報いであるというのです。まさしく、人間的な基準、この世の基準とは超絶しています。これを報酬と心から受け取るには、この世のものに一切の価値を見出さず、どんなときにもただイエスさまだけで満足することができていなければなりません。私たちが目指すべきは、この、イエスさまだけで満足し、その満足からあらゆるものが実を結ぶ境地です。

<祈りの課題>全国の無牧・兼牧の教会のために。

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