052 2月21日 出4ルカ7ヨブ21Ⅰコリ8
出エジプト記4章……主は、ファラオの心がかたくなならば、その長子を殺すと警告されました。このことばを聴いただけでもファラオは恐れなければなりませんでしたが、恐るべき自然災害がいくつも起こってもなお、ファラオは心をかたくなにして、聞き入れませんでした。それは主の摂理のうちに許されたことでしたが、世の人たちもまた、ほんとうの終末がやってくるまで心をかたくなにし、どんな警告のしるしを見ても信じません。私たちは、このような人たちを対象にみことばを語るのです。
ルカの福音書7章……イエスさまは、息子を亡くして悲嘆に暮れている女性に「泣かなくてもよい」と言ってくださいました。よみがえりであり、いのちであるイエスさまは、永遠のいのちの希望を私たちに見せてくださり、私たちの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださいます。私たちも時に悲しむものですが、主にある別れは、天国における再会を保証します。
ヨブ記21章……ヨブは、悪者が快楽のうちに生きながらえることを語っています。友たちの語る、悪者の終末は悲惨であるというお説教とは大違いの現実があります。私たちはつい、因果応報という薄っぺらい概念でみこころを推し量り、そのように人に語ったりするものですが、それは、正しくてもなお苦しむ者の側に立つことではありません。
コリント人への手紙第一8章……私たちは何を飲んでも食べてもいいのですが、人によっては、その行為は宗教的な汚れ(あるいは、身の破滅)を招くと考えます。そういう人たちに対し、いや、何を食べても飲んでもいいと語っても始まりません。むしろ私たちのすることは、彼らと同じ視線に立つことです。アルコールに飲まれてしまう人が多いならば、私たちはアルコールを口にできることを権利として主張するのではなく、彼らに仕える精神で、アルコールを口にしないことです。
<祈りの課題>花粉症に悩む方々、兄弟姉妹のために。この弱さのうちに主を仰ぎ見る信仰が育てられるように。
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