050 2月19日 出2ルカ5ヨブ19Ⅰコリ6

出エジプト記2章……本来、捨てられるべき子どもだったモーセは、エジプト王女の計らいにより、というより、主のお導きにより、実母に育てられることになりました。しかし、彼の立場は王子であったので、実母は時が来ると、モーセを王女のもとに手離しました。まことに、子どもというものは、親の所有物ではなく、主からお預かりしている存在であることを、私たちは肝に銘じ、時が来れば送り出すべきところに送り出す決断を、主にある親はする必要があります。

ルカの福音書5章……イエスさまが肉体をとってそばにおられた以上、それは喜びの時であったゆえ、弟子たちはイエスさまとともに飲んだり食べたりすることを楽しみました。しかし、今イエスさまは肉体をとってともにおられないゆえに、飲んだり食べたりということが肉を生かすことである以上、それはイエスさまに近づくことに妨げとなることが往々にしてあります。使徒の働きには複数回、教会が断食に取り組んだ事実が記録されていますが、それは、食を断つことで、目に見えないイエスさまに近づき、お交わりを持つということです。私たちにとって断食が必要な理由が、ここにあります。

ヨブ記19章……この告白に示されたヨブの姿は、神の怒りを受けた姿そのものですが、これは本来の私たち罪人の姿であり、そして、十字架の上で人に注がれるべき神の怒りを受け止めて打たれた、イエスさまのお姿を示します。私たちはヨブのこの真実の告白をお読みするとき、私たちの真実の姿を見出し、さらに、私たちを贖い出してくださったイエスさまに改めて出会うものです。

コリント人への第一の手紙6章……姦淫、情欲に関する罪は、ほかの罪とちがって特別です。なぜならば、この罪だけは、からだに対して犯す罪だからです。偶像礼拝、オカルト(おまじない、占い)のような罪が倫理的なものというよりも、神さまとそのみからだである教会「に対する」罪であるように、配偶者以外の存在に情欲を覚え、姦淫の罪を犯すことは、主の宮なるからだに対して罪を犯すことと心得るべきです。私たちのうちから徹底してこの罪を除き去らなければなりません。

<祈りの課題>日本と世界の人々、特に教会の若者たちが、主にあって正しい性意識を持って歩んでいけるように。

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