049 2月18日 出1ルカ4ヨブ18Ⅰコリ5

出エジプト記1章……へブル人の助産婦シフラとプアはうそをついたように見えますが、神さまは彼女たちを祝福してくださったとあります。いのちを救うためならば、神さまはそれを偽証とはみなされなかったのでした。「偽証してはならない」という戒めも含む律法の精神は、神を愛し、隣人を愛せよという2つの戒めに要約されるべきで、それに基礎を置かないで文字どおり守ろうとするなら「律法主義」という、イエスさまに糾弾される考えになってしまいます。

ルカの福音書4章……イエスさまの教えを聴いた群衆は、そのみことばが自分たちのうちにとどまっているならば、もう充分に教えられているわけで、イエスさまを次の町に送り出すべきでした。教えを自分のうちにとどめておいて満足していてはならないのです。私たちのすることは、みことばから深く学ぶこともさることながら、まだみことばの伝えられていない人々に向けて、みことばが宣べ伝えられるようにすることです。

ヨブ記18章……ビルダデは、悪しき者の終わりは極めて悲惨になることを延々と説き、ヨブの考えを正しにきます。しかし、実際のところ、神の目から見れば義人はひとりもいないというのがほんとうのところで、そういう意味ではみな悪しき者です。悪しき者たちはやがて悲惨に滅びると人はたやすく言いたがりますが、滅びないで永らえる者が多いという現実を前にしては、どんな説得のことばもむなしいものです。

コリント人への手紙第一5章……私たちは、この世の人たちが聖書に反していることについて目を留めてあれこれ言いがちですが、ほんとうに私たちが考えるべきことは、私たち教会の「中に」そのようなみことばに反する人がいる、ということです。こういう人に対して「さばくべきではない」ということばを用いてその罪を放っておくならば、教会のきよさは踏みにじられることになります。私たちは、みことばに反する者が教会内に現れることのないように、互いに関心を持ち、祈り合う必要があります。

<祈りの課題>いのちのことば社(クリスチャン新聞、CS成長センターほか)の文書宣教の働きのために。

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