043 2月12日 創45マコ15ヨブ11ロマ15

創世記45章……ヤコブの子どもたち、ヨセフの兄弟の生殺与奪はヨセフの手に握られていましたが、ヨセフは仕返しをしませんでした。それは、自分がこうしてエジプトに来て、総理にまでなったのは、イスラエルのためであったことを、ヨセフは知っていたからでした。そしてこのようにして、ヨセフは主のこのご計画を兄弟たちと共有し、兄弟たちを慰めることができたのでした。私たちにも主の大いなるご計画、救いを実現するご計画が注がれていることを、心に留めてまいりたいものです。

マルコの福音書15章……群衆は、イエスさまが十字架から降りたら信じてやると罵って、イエスさまを嘲笑いました。彼らは、イエスさまが十字架から降りないことを分かっていて、このような嘲りのことばをかけたのでした。しかしイエスさまは、十字架で完全に贖いを成し、十字架から降ろされ、墓に葬られました。贖いをなされたイエスさまが十字架から降ろされた以上、私たち人間に迫られていることは、イエスさまを信じること、これだけです。

ヨブ記11章……ツォファルは、ヨブの「手に不法があるならそれを遠ざけ……天幕に不正を住まわせないなら」、「望みがあるので……安らぎ、守られて安らかに休む」と高説を垂れていますが、問題だったのは、ヨブは潔白だったにもかかわらず、今こうして苦しみの中に置かれている、ということです。人はときに、相手の苦しみの現実に寄り添うよりも、相手の苦しみの理由をさも知っているかのように振る舞い、お説教をして相手をさらに苦しめる者ですが、私たちこそ、このような上から目線の知ったかぶりから救われる必要があります。

ローマ人への手紙15章……宣教とは、ほかの人が宣教したその手柄を横取りするかのように、すでに宣教されている人に再宣教しないことが原則です。パウロはこの原則をしっかり守って宣教し、諸地方に教会を立てました。私たちも、他教会からの水平移動で教会に人が増し加わることを手放しで喜んでいてはなりません。私たちがほんとうにすべきことは、まだ福音が伝えられていない人々に優先的に福音を宣べ伝えることです。

<祈りの課題>自然環境の厳しい地方で宣教・教会形成をする兄弟姉妹のために。

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