042 2月11日 創44マコ14ヨブ10ロマ14

創世記44章……ユダのしたことはとりなしでした。ヤコブが死ぬことのないように、また、ヨセフの怒りをなだめるために、自分の身を差し出しました。これはまさに、私たちが死ぬことのないように、神の怒りの前にご自身をいけにえとして差し出された、イエスさまのお姿そのものです。

マルコの福音書14章……イエスさまについていこうとした青年の話が登場するのは、マルコの福音書だけで、この青年はマルコ自身ではないかと言われています。また、ペテロも土壇場になってイエスさまを否定しました。彼らが逃げたその弱さは、イエスさまの復活を見るまではどんな人にもついて回るものです。復活なき犠牲的精神は尊いものでもなんでもなく、また、あり得ないものです。

ヨブ記10章……ヨブは、神さまの自分に対するお取り扱いに、激しく抗議しています。この祈りは私たちにとって模範となることです。私たちは苦しみの中に置かれてもなお、取り澄ましたような祈りをすることで終わらせてはいないでしょうか。赤裸々な祈りをささげてもよいのです。神さまはその真実の祈りをさげすんだり、さばいたりなさることはありません。

ローマ人への手紙14章……主にある兄弟姉妹はなぜ尊いのでしょうか。それは、神の御子キリストが代わりに死んでくださったからです。それほど尊い存在をつまずかせ、救いから遠ざけることは、私たちにとっていちばんしてはならないことです。食べるということはしばしば宗教的な色彩を帯びますが、食べるにせよ、食べないにせよ、私たちはつねにほかの兄弟姉妹のことを考え、配慮した行動をしていくべきです。

<祈りの課題>日本異端相談所と異端・カルト110番の働きのため。

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