041 2月10日 創43マコ13ヨブ9ロマ13
創世記43章……つい見逃してしまいますが、ヨセフが一行を迎えてともに食事を取った時間には、通訳がついていました。彼らが何を話し合っていたのか、ヨセフに筒抜けだった一方で、ヨセフの話すことばは通訳を介さないと彼らには伝わらなかったのでした。このような、神のような存在のヨセフの怒りをなだめるために、ユダはベニヤミンの保証人となりましたが、このユダの子孫として、十字架によって神の怒りをなだめられたイエスさまがお生まれになったのでした。
マルコの福音書13章……世の終わりに何が起こるかは、このようにイエスさまがあらかじめお語りになったとおりです。私たちのすることは、いたずらに恐れたり、終末のタイムテーブルは具体的にどうなるだろうかと今起きている事象になぞらえてあれこれ推測したりすることではありません。目を覚ましていることです。これらのことは必ず起こる。教会の2000年の歴史は、終末意識を身に帯びて目を覚ましている信徒たちによって紡がれてきたものであり、私たちも目を覚まして、終末に備えたいものです。
ヨブ記9章……ヨブは、自分が潔白であることを主張する一方で、神さまが絶対者であることに圧倒され、恐れおののいています。このような恐れの中にあり、主のお取り扱いの御手のうちにある者を、だれが罪人扱いできたり、上から目線で叱ったりなどできるでしょうか。私たちももし、イエスさまの十字架の血潮によって義人とされているならば、このような苦難を主がお許しになり、全能者の御手をいやでも感じるということは起こるのではないでしょうか。
ローマ人への手紙13章……私たちは、世の秩序の中で信仰を持つことが許されています。この時代のローマは皇帝礼拝という問題がありましたが、しかしそのような権威に対して革命を起こすのではなく、従順な市民として証しを立てることをパウロは命じています。私たちも、インターネットで陰謀論を流布する者たちの言説にかぶれ、この世の権威を極端に軽視したりして、みこころを損なうようなことがあってはなりません。
<祈りの課題>聖書翻訳の事業のために。
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