040 2月9日 創42マコ12ヨブ8ロマ12

創世記42章……ヨセフは、兄たち全員を監禁することから、飢えている家族に穀物を持たせるように方針を変えたとき、「私も神を恐れる者だから」と告白しています。この神はもちろん、イスラエルの神なる創造主ですが、兄たちは、ヨセフの恐れている神がそうとは知りませんでした。しかし恐怖に取りつかれていた兄たちは、このような中にも主の御手が働いていたことを認めたことでしょう。この一連のできごとはまさしく、主がお導きになったことでした(28節)。

マルコの福音書12章……みことばの教えは、主を愛すること、そして隣人を愛すること、この2つに集約できます。それ以外のものを愛することは、私たちにとってふさわしい教えではありません。ただ、主を愛し、隣人を愛するというこの戒めを具体的にどう守るかを、私たちはよく知る必要があります。旧新約聖書は、その戒めを守る行う上での必要十分な書です。

ヨブ記8章……ビルダデは、人は神を熱心に求め、誠実ならば、神に受け入れられると主張します。この議論の問題は、神との関係の祝福いかんを人の側においている、ということです。私たちがしばしば、敬虔な歩みをしていても大きな災いにあうということは充分にありえることで、それを、努力が足りなかったとか、誠実ではなかったと言ってみたりするのは、的はずれというものです。

ローマ人への手紙12章……この12章は、心の一新によって神さまに自分を変えていただいた者が従うべき徳目です。読んでみると、なるほど、そのとおりだ、と思うことでしょう。あとはこれを守り行うばかりですが、これは個人的な努力でできることではありません。教会の兄弟姉妹とともに取り組むべきことです。

<祈りの課題>終末意識が盛り上がっているコロナ下において、クリスチャンたちが健全な終末論に立った聖書解釈をしていくように。

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