039 2月8日 創41マコ11ヨブ7ロマ11
創世記41章……ヨセフが息子たちに名づけた、マナセ、エフライムという名前の意味を考えると、神さまはどのようなお方であるかがわかります。神さまはしばしの苦しみの後で祝福に導かれ、苦しみを忘れさせてくださり、多くの実りを得る祝福を覚えさせてくださるお方です。私たちはこの地上では苦しみの連続かもしれませんが、終わりの日、天の御国に入れられる日に、その苦しみはすべて報われます。
マルコの福音書11章……子ろばが最初に背中にお乗せしたのは、イエスさまでした。勇壮な白馬ではなく子ろばに乗られたことは、イエスさまがそれだけ謙遜なお方であることをお示しになったということですが、私たちの子ろばのように、大した存在ではないにもかかわらず、イエスさまをお乗せすることで、主のご栄光を現す素晴らしい存在としていただけます。
ヨブ記7章……神さまが人を心に留められることは、本来ならば驚きとともに喜んで受け入れるべきことです(詩篇8:4)。しかし、このような主の愛は、いまや避けたくなるような重たいものにしかなっていません。そのような主への態度を人はさばくでしょうが、このようなヨブのうめきを細大漏らさずみことばに書き留められた神さまは、このようにご自身の愛さえも受け取れないほどに傷ついている者に対し、どこまでも優しいお方です。
ローマ人への手紙11章……みことばの教えはイスラエルに伝えられた教えがルーツになっています。今イスラエルの民の中で、イエスさまにつながっている人はわずかに見えるかもしれませんが、私たちはイエスさまにつながっていて救われているからと、誇るべきではありません。私たちが今こうして救われているのは、神さまの恵みであって、私たち自身を誇るべきではありません。
<祈りの課題>韓国から日本に宣教師を派遣して支援する組織「アガペー宣教会」のために(「アガペーチャペル」ではありません)。
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