037 2月6日 創39マコ9ヨブ5ロマ9
創世記39章……ポティファルの家が栄えたのは、主がそのしもべヨセフを特別に祝福しておられたゆえでした。しかし当のヨセフは、ポティファルの妻のゆえに投獄されることになるなど、多くの苦しみを体験することになりました。主が私たちを通して、私たちの置かれた環境を祝福されるといっても、私たちに苦しみが臨むことはあり得ます。しかしそれは、主が見放しておられるからではありません。しばしの苦しみを通して、私たちがより一層、その置かれた環境に祝福をもたらす者となるために、主が私たちをきよめてくださるためです。恐れずに、主に信頼してまいりたいものです。
マルコの福音書9章……子どもは幼稚とみなされ、とかく大人たちから疎外されてしまう、弱い立場にある存在です。しかし、イエスさまはこのような子どもに、つねに目を留めてくださっています。もし私たちに、子どもを受け入れ、尊重する謙遜さが備わっているならば、そのような者こそ、イエスさまに近い存在と認めていただけます。
ヨブ記5章……エリファズは、神が叱責する者は幸いであると主張します。まことにごもっともなことですが、このことばは、実際に神のお取り扱いの中で苦しむ者に対し、何の慰めにもなっていません。自分がその苦しみの中にない者は、神の叱責とはどのようなものであるか、具体的に何もわかっていないのです。
ローマ人への手紙9章……本来私たちはみな、神の怒りの器、怒りを受けるにふさわしい存在でした。しかし神さまは、そのような者を特別に憐れんでくださり、救いに召してくださいました。ほめたたえられるべきはどこまでも、このように憐れみをもって私たちを召してくださった神さまです。
<祈りの課題>モンゴルのマンホールチルドレンの支援の働きを展開する「モンゴルキッズの家」のために。
コメント
コメントを投稿