035 2月4日 創37マコ7ヨブ3ロマ7
創世記37章……父ヤコブの偏愛を受けていたヨセフは、最初、のちの日のような人格者ではありませんでした。ビルはの子やジルパの子である自分の腹違いの兄の悪い噂を父親に告げていたということは、愛妻の愛(まな)息子が女奴隷の息子たちの悪口を言うということであり、ただでさえ絶対的に高い地位にあった者が、その立場を悪用していたということです。そのようなヨセフが無邪気にも夢の話を聞かせて回るのは、いかにそれが主のみこころを開く道であったとはいえ、彼の砕かれるべき人格の未熟さが現れたことでもありました。
マルコの福音書7章……人から出るものが人を汚します。それは、人は本来、罪の中に生きていて、心が罪にけがれているからです。主の子どもらしくよいことばや態度、行いが出てくるには、それだけ、主のみことばと祈りによって心がきよめられている必要があります。
ヨブ記3章……ようやく口を開いたヨブから出てきたことばは、神をのろうことばではありませんでしたが、自分の生まれた日をのろうことばでした。自分がこの世に存在することそのものを否定したくてたまらなかったわけです。私たちも、いかに神さまから喜びがたえず与えられているといっても、喜びを与えてくださる神さまが見えなくなって、自分の存在そのものをのろいたくなるときがあります。神さまはヨブをそのことばによってさばかず、ありのまま受け入れて生かしてくださったように、私たちのこともさばかないでありのまま受け入れてくださり、生かしてくださいます。
ローマ人への手紙7章……私たちは心では神の律法を喜んでいますが、実際には自分の憎んでいるはずの罪を犯してしまう者です。それは実に悲しくみじめなことですが、この死のからだから救い出してくださるのは、死をもって罪と死に打ち勝ってくださったイエスさまだけで、私たちはイエスさまを信じる信仰により、罪に打ち勝つ者とさせていただけます。
<祈りの課題>現在、コロナ下で苦戦を強いられている、KGKやCCCをはじめとした学生宣教の働きのために。
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