031 1月31日 創32マコ3エス8ロマ3
創世記32章……エサウとの再会を前に、ヤコブは砕かれていました。しかし、人間的に謙遜になる以上に、彼は神によって砕かれる必要がありました。神さまはヤコブを砕き、「神と闘う」という意味とともに「神は戦う」という意味を持つ「イスラエル」という名を授けてくださいました。彼は負けましたが、負けたことを持って神さまはヤコブに大いなる勝利を与えてくださったのでした。まことに、神の前にへりくだることこそが真の謙遜を生みます。
マルコの福音書3章……聖霊を冒瀆するということは、イエスさまによって救われることを一切拒否するということです。これは、単に神さまを冒瀆することとはレベルの異なることです。私たちは、自分はもしかすると聖霊を冒瀆して、永遠の罪に定められているかもしれない、などと不安に思う必要はありません。しかし、このみことばは、ほかの兄弟姉妹の霊的な働きをむやみにさばかないようにという戒めとも取ることができます。もしその、私たちの目には奇異に見える働きが、聖霊なる神さまのお働きであったならば、私たちはそのさばいたことばの責任を取らされることになるかもしれません。
エステル記8章……王服を身に着けてスサの町に颯爽と現れたモルデカイの姿に、ユダヤ人は歓喜の声を上げましたが、これは、終わりの日にあらゆる悪を滅ぼされ、私たち神の民を喜びに包んでくださるイエスさまのお姿をほうふつとさせます。まことに、神の民はしばらくの間苦しみますが、天国に入れられたら、もはや私たちを害するものは何もありません。
ローマ人への手紙3章……神の義は、律法を守るような宗教的善行によって保障されるのではありません。ユダヤ人であれ異邦人であれ、だれにとっても、イエス・キリストを信じることによって保障されます。私たち人間が第一にすべきことは、イエスさまを信じることです。
<祈りの課題>1月の歩みに感謝し、2月からの歩みに主のお導きを求めましょう。
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