030 1月30日 創31マコ2エス7ロマ2

創世記31章……ヤコブはラバンに見切りをつけ、去っていきました。それは主のご命令によることでしたが(3)、ラバンは自分のことを反省もせず、ヤコブは全く愚かなことをしたとなじりました(28)。しかし、ラバンにとって大事だった偶像をラケルが持ち去ったことがきっかけで、ヤコブは堂々と、自分の言うべきこと、すなわち、自分の正しさとラバンの不当さを述べることができました。ラバンはもはや反論ができず、ヤコブたちを行くに任せました。主は、愛する子どもの苦しみを見ておられ、その試練とともに脱出の道を備えてくださいます。

マルコの福音書2章……安息日は人を自由にするためのものです。しかし宗教指導者たちは、安息日の規定を細かく定めることで、人を不自由にしました。それは実のところ、宗教指導者たちの利権を守るためでした。イエスさまはそんな彼らの、宗教の皮をかぶった偽善を明らかにされ、宗教指導者たちによって苦しめられていた人々を自由にしてくださいました。

エステル記7章……ハマンはこの瞬間まで、よもやエステルがユダヤ人だったとは知りませんでした。それをこのような形で知った時の彼のショックはどれほどのものだったことでしょうか。彼は命乞いをしましたが、その命乞いさえも王の目に、王妃エステルを凌辱する行為に映り、ハマンはこともあろうに、モルデカイをつけるはずだった柱につけられていのちを落としました。神さまは見ておられます。剣を取る者はみな剣で滅びると、イエスさまがおっしゃったとおりです。

ローマ人への手紙2章……人をさばくということは、自分が同じことを行なっているのに、それを棚に上げて人を責めることであるというのが、神さまの御目から見た定義です。私たちはどれほど、自分の罪を見ようともせず、人の罪ばかり見て、それゆえに神の怒りを積み上げている者でしょうか。そのような私たちのすることは、もっときよくなって神と人から責められないようになることではありません。神のいつくしみと忍耐と寛容に拠り頼んで悔い改めることです(4)。

<祈りの課題>新型コロナウイルス流行を誰かのせいにして留飲を下げるのではなく、まず自分から罪を悔い改めるものとなり、その悔い改めの輪が広がっていきますように。

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