024 1月24日 創25マタ24エス1使24

創世記25章……神の選びは、長子の権利を売るような俗悪な者としてエサウが育つところにも表れました。私たちは、兄弟の出生順のようなどうにもならない環境を、絶対的なものと考え、どうしようもないと思ってはいないでしょうか。しかし、それ以上に私たちが目を留めるべきものは、人間の目には絶対的に見える環境さえ超えて私たちを選ばれ、導かれる、神さまの御手です。

マタイの福音書24章……私たちが生きるこの世界は、終末です。私たちはイエスさまを信じているゆえに、考えられないような苦しみに遭います。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われるとイエスさまはお語りになりました。私たちが避けるべきは、イエスさまを信じるゆえの苦しみではありません。イエスさまを信じていないがごとく振舞う、この世と調子を合わせる生き方を、私たちは避けるべきです。

エステル記1章……クセルクセスが王妃ワシュティにした扱いは、ひどいといえばひどいものでした。しかしこのことが、のちの日にエステルを王宮に入れ、神の民を救うことにつながったと考えると、主の民に属さない権力者の心さえも動かされる、大いなる全能者、主なる神さまの御手を思わずにはいられません。

使徒の働き24章……フェリクスは賄賂をもらってパウロを釈放する権限がありました。しかしパウロは、そのようにして自分も、フェリクスも罪を犯してまで手にした自由には、何の価値も意味もないことを知っていました。私たちは時に、この世の自由を謳歌しない道を選ぶゆえ、キリストの御名によって囚人のごとくなります。しかし、それによって私たちは、御国を受け継ぐにふさわしい者とされます。

<祈りの課題>今週一週間も、私たちが主を証しする生き方に用いられるものとなりますように。

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