022 1月22日 創23マタ22ネヘ12使22

創世記23章……アブラハムは、土地をただで譲りますというヒッタイト人の申し出を断り、かなり高額と思われる、銀400シェケルのお金を支払いました。これはヒッタイトの口車に載せられたのではなく、この地に対する権利をアブラハム(とその子孫)が永久に持つために必要なことでした。私たちの場合はというと、天国にはただで入れているといっても、その背後に、イエスさまの十字架の血の値が支払われていることを忘れてはなりません。

マタイの福音書22章……イエスさまやそのみことばに難癖をつけ、勝ち誇った気分でいる人というのは、いついかなるときにもいるもので、この時代のパリサイ人やサドカイ人などそうでした。しかしそれは、人を立て上げて自由にするためではなく、人を縛って甘い汁を吸う既得権をイエスさまが奪うのを恐れたからで、彼らのどこにも愛はありませんでした。イエスさまはそのような愛なき者の屁理屈にきちんとお答えになりましたが、イエスさまもみことばも真理である以上、そのような者の難癖に負けるようなやわな存在ではありません。

ネヘミヤ記12章……賛美をささげるにあたって、リーダーが立てられれてその統率のもとに組織された聖歌隊が奉仕する様子が登場します。私たちも礼拝において賛美をおささげしますが、それは会衆が「ともに」主の御前に出ていくということにおいて必要だからです。礼拝で賛美を歌うとき、周囲の歌に合わせることを心掛ける理由が、ここにあります。

使徒の働き22章……パウロは、自分がローマ市民であることを主張し、裁判にもかけずに鞭で打たれることは不当だと述べました。たしかに、主のしもべは迫害に遭いますが、みことばは、明らかに法的にアウトなことまで黙って耐え忍べと言っているわけではないことが、ここからわかります。

<祈りの課題>礼拝出席時にマスクを着用せざるを得ないため、充実して賛美がささげられなくなっているすべての教会が守られるように。

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