017 1月17日 創18マタ17ネヘ7使17

創世記18章……アブラハムは、ソドムとゴモラが滅ぼされないように何度も神さまに祈りましたが、そのように祈った根拠は、「全地をさばくお方は公正を行うべきではありませんか」(25)ということでした。この地は主の怒りに触れてさばかれ、滅ぼされても当然のようですが、主が忍耐してくださるのは、私たちが主の御前にささげる、主のご性質を信じての祈りのゆえです。

マタイの福音書17章……イエスさまは父なる神の御子なので、父なる神さまの「家」である神殿税を納める必要はありません。しかし、イエスさまは、ご自身の義務としてではなく、集金をする者たちをつまずかせないため、という理由で、奇跡的な方法でペテロに神殿税のための銀貨を手に入れさせました。私たちは、御国の子どもとしてふるまっていいのだからと、何をしてもいいようでも、やはり考えるべきは、周りに対して証しとなる行動をしているかどうかで、主はその行動も備えてくださるお方です。

ネヘミヤ記7章……バビロン捕囚で苦しんだエルサレムの民は、ついに元通り住むことを許されました。これだけ長いスペースを割いて族名が書かれているのは、主にあっては、一族ということが重要な意味を持っていたことをほのめかしています。こんにちの私たちは、主にあっての一族は、それぞれの属している教会で、教会ごとに天のエルサレムに挙げられる、とイメージすれば、この族名が延々と続く箇所はわかりやすいかもしれません。

使徒の働き17章……ベレアのユダヤ人は、パウロの語ったことばを聞くことに終わらせず。果たしてそのとおりかどうか毎日聖書を調べました。私たちも、日曜日の礼拝メッセージを聴くだけで終わらせず、聖書のみことばは何を語っているのかをつねに学ぶ姿勢が大事です。そうしてこそ、私たちはみことばをほんとうの意味で身に着けることができます。

<祈りの課題>本日の礼拝のために。

<明日の聖書通読箇所>創19、マタ18、ネヘ8、使18

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