015 1月15日 創16マタ15ネヘ5使15
創世記16章……アブラムはまたも失敗をしました。今度の失敗は、優柔不断ゆえのことであり、サライに言われるがままにハガルとの間に子どもをもうけたこと、これまたサライに言われるがままにハガルを追い出したこと、どちらも、優柔不断ゆえの失敗です。しかし、このような過ちを通しても、主はアラブ人という一大勢力を生まれさせ、その中からも救いに定めた御国の民を起こしてくださったのでした。
マタイの福音書15章……心から出てくるものは人を汚します。それは、私たちの心がイエスさまの十字架の血潮(を信じる信仰)によってきよめられていないからです。それなのに私たちは、例えばここでパリサイ人が問題にしているように、洗わない手で食べるような、形式的、表面的なことに、なんと左右されていることでしょうか。
ネヘミヤ記5章……ユダヤの共同体は、金銭的に深刻な問題を抱えはじめていました。ネヘミヤはそのような共同体の問題にメスを入れる勇気を奮いました。彼は、本来ユダヤ人が集中すべき城壁修復に力を入れさせるように、ユダヤの代表者たちのために牛を屠りましたが、自分は鳥肉で我慢するように、ぜいたくに振舞わない指導者として模範を示しました。
使徒の働き15章……マルコの処遇を巡って対立したパウロとバルナバは、どちらがよい、悪いということではありません。パウロは神の正義を取り、バルナバは神の愛を取りました。この、神の愛と正義を同時に実現することは、人間にはとても難しいことです。イエスさまの十字架は、人間には解決困難な、神の正義と愛を同時に実現したものでした。
<祈りの課題>日本で活動する宣教師の先生方のため。
<明日の聖書通読箇所>創17、マタ16、ネヘ6、使16
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