013 1月13日 創14マタ13ネヘ3使13
創世記14章……ソドムの王が、神のさばきに遭って滅ぼされたソドムの代表者であることを考えると、アブラムに贈り物をしようとしたその動機を考えるべきです。アブラムがこの贈り物を受け取ったならば、ソドムとその王のアブラムに対するマウンティングを許すことになります。それはアブラムにしてみれば、神さまにお従いするよりもこの世の権力に妥協した、ということを意味します。私たちは、この世の祝福を受けることを神の祝福のように取り違えることがないか、よく考える必要がありましょう。
マタイの福音書13章……イエスさまはたとえで語られましたが、そのことは「群衆」と「弟子」を分けられることでした。「群衆」はたとえを聞いたら、そのたとえの何やら面白い表現を聞くのに満足して、「勉強になりました」という気分になって、それで終わりです。しかし「弟子」は、たとえは難解なものであると認め、イエスさまに食い下がってお尋ねします。私たちも、みことばをたえず深く学ぶ「弟子」でありたいものです。
ネヘミヤ記3章……この箇所は、エルサレムを修復した人々の名前が次々と列挙されていて、圧巻です。まことに、主のみこころどおりに働いた人々は、このようにして何千年も、そして世界中で記念されます。私たちも、この地上で主のご栄光を顕しつつ働くことは、サタンの勢力に奪われたこの地の領域を主のもとへと取り戻すことであることを考えると、エルサレムの城壁の修復のようです。主はそのような私たちのことを覚えていてくださいます。
使徒の働き13章……本来、福音は神の民であるユダヤ人が優先して聞かなければならないものでした。しかし彼らは拒否しました。そこから異邦人宣教の道が開かれました。その宣言を聞いて異邦人は喜んだとあります。私たちもユダヤ人ではないならば、このことを、もったいない恵みと喜んでいるでしょうか。そして、ユダヤ(イスラエル)が福音を聞く機会が開かれるように、祈ってまいりたいものです。
<祈りの課題>ユダヤ人宣教が進みますように。
<明日の聖書箇所>創15、マタ14、ネヘ4、使14
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