010 1月10日 創11マタ10エズ10使10

創世記11章……バベルの塔が建てられたのは、地を満たせという主のみこころに反逆することに大きな目的がありました。主に反抗することに人々が徒党を組むならば、「しようと企てることで、不可能なことは何もない』という、怖ろしいこととなります。しかしこのとき、主は介在されて塔の建築が未遂に終わり、みこころどおり人々が全地に散らされたように、どんなに、人々が群れを成して主に反抗する道を歩んでいることが止められないように見えても、主が介在されるなら、必ずみこころは成ります。

マタイの福音書10章……人々の前でイエスさまのことを知らないという者のことは、イエスさまも、御父の前でその人のことを知らないとおっしゃる(33節)、大変厳しいみことばですが、私たちはこのことばに耐えられるでしょうか? しかし、このみことばどおり、イエスさまを知らないと言ってしまったゆえに、本来ならばイエスさまに見捨てられたはずのペテロのことを、主が立たせられ、用いられたように、主は私たちにもチャンスと勇気を与えてくださいます。恐れないでまいりたいものです。

エズラ記10章……18節から43節、主の共同体に罪をもたらした者たちの名前が、ことごとく記録されました。恥を後代まで残したことになるわけですが、しかし彼らはまた、罪を断ち切る誓いをした人たちでもありました。そういう意味でも彼らの名前がことごとく記録されているともいうことができます。私たちも罪が明らかになり、その事実が人々の口に上るのは恥ずかしいことかもしれませんが、その罪を悔い改めるなら、主は私たちの悔い改めを覚え、もうその罪を思い出されることはないと約束してくださっています。

使徒の働き10章……主は言われます。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」確かに私たちは、聖い神さまのみことばの基準から見ればみな罪人です。しかし、神さまがその罪をイエスさまの十字架によって赦してくださった以上、その罪に縛られて、自分や人のことを罪人と見なしつづけることをやめなければなりません。罪人を十字架によりきよめてくださった、主のみこころに心を留めましょう。

<祈りの課題>今日の日曜礼拝のために。

<明日の聖書通読箇所>創12、マタ11、ネヘ1、使11

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