008 1月8日 創8マタ8エズ8使8

創世記8章……神さまはひとたびは大洪水でこの地を滅ぼされましたが、市場の被造物である人間は何をどうしても罪人であることを心に留められ、人のゆえにこの地をのろうことはなさらないと誓われました。私たちが生きながらえているのは、実に、この地界をもって守ってくださる主のみ恵みのゆえです。

マタイの福音書8章……人の子、イエスさまにお従いするということは、極めて厳しいことで、それは、身を休める場所においても、獣や野鳥以下になってしまうことを意味します(20)。しかし、世の安楽よりも、イエスさまに従うことのほうに喜びを見出せるならば幸いです。私たちも覚悟が問われています。

エズラ記8章……エズラは大群衆を率いてエルサレムにのぼるにあたり、道中の無事を保障するにあたって、王権をかさにペルシアの部隊に護衛を頼むことを恥と考え、断食して主に祈りました。すると神さまは、道中の敵たちから彼らを守ってくださいました(23節)。エズラは、目に見える王の権力よりも、自分たちの仕えている全地の王なる神さまがはるかに強いことを信仰によって受け入れていました。私たちもとかく、目に見えるものに左右されがちですが、根本的に、神さまに対してエズラが持っていたような信仰を持っていますでしょうか。

使徒の働き8章……魔術師シモンは人々を驚かせる行為をしていたところを見ると、悪霊の力が働いていたと言えます。そういう人でも主は救ってくださいますが、いけないのは、そういう人が深い考えもなしに主の賜物をいただき、教会の中でリーダーになろうとすることです。ペテロは彼に悔い改めの祈りをするように迫りましたが、彼は自分で祈るのではなく、ペテロに祈ってもらおうとしました(24節)。ほんとうに御霊の人ならば、自分で祈って悔い改めることができるわけで、人の祈りに全面的にゆだねて自分自身に対する霊的責任を放棄することはありません。私たちは、人に祈ってもらう前に、まず自分自身で祈ることを身に着けてまいりたいものです。

<祈りの課題>悪霊の支配下にあって苦しんでいる人々のために。

<明日の聖書通読箇所>創9-10、マタ9、エズ9、使9

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