007 1月7日 創7マタ7エズ7使7
創世記7章……神さまがノアに、箱舟の中にすべての生き物をつがいで入れなさいと命じられたとき、ノアはそのみこころに従おうとしました。それはどれほど困難なことだったことでしょうか。地上のすべての生き物を入れることなどできるのでしょうか。しかし神さまは、ノアのもとに生き物がつがいでやってくるように計らわれました(9)。まことに、神さまのみこころは生き物の世界を含めた森羅万象にまで及ぶことを受け入れ、今日も主に信頼してまいりましょう。
マタイの福音書7章……日本で言う「猫に小判」ということわざが西洋では「豚に真珠」であることはみなさまご存じでしょう。これはイエスさまの語られたもことばがもとになったことわざです。しかし、よく読むと「豚に真珠」は「猫に小判」とはちがいます。真珠のごとくとうとい聖なるもの、すなわち主のみおしえを、豚に象徴された、たましいのけがれを洗い落とそうとしない者に説いて聞かせようとするならば、手ひどい反抗にあって害を受けるからおよしなさい、ということです。私たちがもし、性悪な人間を含めただれに対してもみことばを語るべきだと考えたらとても憂鬱になりますが、イエスさまはむしろ、語る相手のことをよく考えた上で語りなさい、と言っておられるのではないでしょうか。
エズラ記7章……エズラは、主の律法をよく調べて、自分で実行したうえでイスラエルにてこのみことばを教えようと心を定めた人でした(10)。自分が実践し、そして自分がリーダーシップを行使する共同体にみこころを実行させるうえで必要なことは、まず自分がみことばに精通することです(11)。私たちの属する共同体がみことばを守り行う祝福をいただくためには、そのみことばを解き明かすべく、群れのリーダーの教職者(牧師先生や宣教師先生)が充分にみことばに親しみ、みことばをお勉強する時間が持てるように、群れで祈り、お助けしたいものです。
使徒の働き7章……ステパノは、みことばを語ったがために悲惨な死を遂げたようなものです。ユダヤの宗教指導者たちは、イエスさまのおっしゃるところの「真珠を与えられた豚」でした。しかしステパノはそれでも、神さまが彼らのことを赦してくださるようにと祈りました。その祈りは聞かれ、この指導者の中からのちの日の使徒パウロが起こされました。私たちには、クリスチャンである、みことばに従っている、みことばを語っているという理由で迫害する人たちのことを受け入れ、赦し、彼らのたましいが救われるように祈ることは難しいことかもしれません。しかし、神さまはこのようにみことばで、ステパノという見本を示されているゆえ、少しでもこのような人に近づけるように祈ってまいりたいものです。
<祈りの課題>世の終わりが来る前に、私たちが霊的な眠りからさめ、みことばを守り行う、証しの生活をしていくことができるように。
<明日の聖書通読箇所>創8、マタ8、エズ8、使8
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